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オーストラリアで成功へ

Yoshikyとは?

Yoshikyは誰?

このブログの筆者です。

高校落ちこぼれが高2のオーストラリア修学旅行が起爆剤となり、勉強をし始める、進路を意識する中で、オーストラリアという選択肢ができた。

そして、生半可な気持ちが、本気になり、その後、一度は入った龍谷大学国際文学部を2年次修了で休学、そしそして半年間のIELTS勉強を経て中退。

半年の準備コースを経て2010年よりメルボルン大学Bachelor of Artsに編入学をする。そして翌年11年卒業。

12年にビクトリア大学で現地中高教員免許のコースを修了。13年より現地校の教師として働く。14年オーストラリア永住権取得 15年度7月よりMaster of Educationをメルボルン大学大学院で履修中。

IELTSそれぞれの最高スコア L9R9W7S7.5(General & Academic)

このブログでは経験を元に留学準備&IELTS上達方法をシェアしています。また自力で永住権も取得しましたので、オーストラリア(主にメルボルン)での生活の裏技や大学院での話など幅広く書いているのでお役に立てればと思います。

細かい経歴は以下に書いています。もし時間がありましたら読んでみてください!

Yoshikyの今に到るまで(長いですが色々書きました!)

中学で英語は楽しんで英検なども3級までは取得。自信満々で英語に重点をおいた公立高校へ進学。

初めての挫折:得意だと思っていた英語は他の人に比べたらなんて事のない成績だと気づかされました。また他の科目でもなかなか思うように行かずテストのランキングでも38人中35−38番をうろうろするほどで徐々に自信を無くして行くようになりました。また高校の担任との相性も合わず勉強の成果もあがらず。だんだん高校自体もめんどくさくなって行ってしまいました。成績表には10段階で2と3が並ぶ、唯一体育は7とか8とかあったんですが笑

転機:なんとか高校1年生を留年ぎりぎりの成績でクリアしましたが、一時期は辞めることも考えました。そして2年生の8月にオーストラリアのメルボルンに研修旅行で1週間滞在しました。全然自分の言いたい事は言えなかったですが、提携先の姉妹校でホームステイをしたり学校で友達をつくったりしたことがきっかけで自分から色々な方法を模索し英語を勉強し始めるようになりました。あともちろん可愛いオージーの女の子達と話せるようになりたいっていう理由もありましたが(笑)

帰国後に、オーストラリアで勉強することを考え始め資料や情報を集め出してここから何かが変わりました。

進路にオーストラリアの大学に行きたいと学校や友達、親に言ってもあの当時は「バカじゃないの?」と相手にもされず行きたいという考えだけは親に伝えたがもちろん理解してもらえなかったです。その間も英語力を伸ばすために様々な勉強を実施、学校のAETのネイティブに日記を書いて毎日チェックしてもらったり自分から進んで洋書なども読みまくりました。(Yoshikyが読んだ洋書リスト)

高校卒業してからは留学の機会があった日本の龍谷大学国際文化学部に入学しました。そして、大学内で国際交流などを通じて英語力発展を伸ばす努力を続けました。2年時の後半に念願であったオーストラリアのメルボルンに語学留学をすることができました。またその6ヶ月の中で大学の講義に参加してみたり、さらに自分の勉強したい分野や大学入学のための条件、費用、色々な情報を収取したりしました。

オーストラリアへの道が開く時

帰国後に親にベイビーステップのえいちゃんのようにプレゼンをして条件付きで許しをもらいました。その条件とは英語力を半年以内でオーストラリアの希望大学入学できるレベルにまで上達させること。その半年間で上達できない、もしうは英語力の基準に大幅に達しない場合は潔く諦めて大学に復学し、龍谷大学を卒業することと決まりました。そしてその後に海外に行きたければ好きにしていいという話になりました。そして大学3年次の最初の半年を休学し、IELTSとの初めての戦いが幕を切ったのです

IELTSとの戦い第1章(進学編)

6ヶ月の間で最低でもIELTSを全てのバンドで6以上まで上げる必要があり、オーストラリアの友人とのスカイプや、IELTSテストがまじかに迫ったときにはベストティーチャーレアジョブ英会話などで IELTSに出て来るトピックなどを重点において練習したり、定期的に英語を話す機会を作り英語力を上げた。ライティングやリーディングでは当時あまりIELTS関連の本がなく「はじめてのIELTS」にかなりお世話になりました。大学を休学し、ほぼ毎日リーデイングとライティングの勉強をし色々な洋書なども読んで語学力を自力で上げれるだけ上げました。

そして、IELTSの結果が出ました。初めてのIELTSの結果は(L6.5 R 6.5 S 6.5 W 5.5)でした。正直かなりがっかりしました。オファーをもらっていたメルボルン大学とラトローブ大学に入学するには最低でも全て6以上なければいけませんでした。この時点で親にもらった条件を満たすことができませんでした。そこで終わりかと思って諦めていたところ、親もかなり大学に関してリサーチをしていたみたいで、親の方から10週間の大学進学コースに参加して、クリアしてそれで大学卒業してこいと背中を押されました。そして、IELTSのライティングで0.5足らなかったですが、親からオーストラリア大学留学の許可が出ました。そしてその年の11月に10週間の大学進学コースへ入学することになりました。

大学進学コース〜大学卒業まで(2009年11月〜2012年12月まで)

大学進学コース(ホーソン英語学校)

IELTSのスコアが0.5足らない人向けの進学準備コースに参加。ここでも実力の違いを大きく痛感する。多くの留学せいは南米や中国からの学生であったが、彼らは英語力が少し基準にみたいないだけであって実質の社会経験や知識の面では頭のいい人がたくさんいた。日本人は他に1人いたのだが、特に関わりもなくコース卒業時には姿を消していました。

さてコースですが、大学準備コースというだけあって、ライティングの内容の基準などは全てメルボルン大学の評価基準で採点されるのでかなり厳しいものでした、もちろん文法など悪ければ容赦なしに点数も惹かれました。

もちろん10週間のコースでも基準にみたなければ容赦なく切り落とされるコースでした。途中で辞めて行くクラスメートも何人かいました。最初の中間試験で合格ラインすれすれでクリアしました。もちろん最終試験も首の皮一枚で繋がり合格しました。

メルボルン大学とビクトリア大学教職コース

メルボルン大学

メルボルン大学では龍谷大学で2年間履修した科目のでほぼ1年分の単位が認められ、2年間で大学を卒業できるようになりました。大学入学後は社会学犯罪学を専攻し予習復習の大切さを感じるだけでなく、勉強するという習慣もつきました。課題に追われるだけでなく、多くのかけがえのない友達もでき、そして、今の婚約者でもある彼女にも出会うことができました。そして、大学在学中に日本語の家庭教師をしたり、現地の高校でアシスタントをするようになりました。それがきっかけもあり、高校で日本語のクラスの手伝いをさせてもらえたり、多くの経験をさせてもらえました。そして、クラスも無事にクリアできました。2010年に入学したメルボルン大学を2011年の12月に73%の平均で無事卒業しました。やはりリスクはありましたが大学を卒業できてよかったです。

ビクトリア大学

メルボルン大学での在学中の経験が今の職業である高校教師に繋がりました。メルボルン大学卒業後ビクトリア大学で教職コースに進学しました。正直なところ成績も十分足りていたのでメルボルン大学で教職コースをしたかったのですが、オーストラリアの留学生料金の高さに驚愕、親からも一番やすいところにしろという指示もあり1年のコースをビクトリア大学で履修、修了しました。コースの内容自体は悪くはなかったですが、大学のサポートがいまいちでした。教育実習先を探すのにかなり時間がかかって、見つかったと思えば車がないと絶対時間通りにつけないような辺鄙な場所にある学校などを紹介されました。結局自力で学校を見つけてそこを実習先としました。大学のコース自体は特に難しさもなく卒業できました。

IELTSとの戦い第2章(卒業ビザ編)

もちろん大学が終わると問題になってくるのがビザです。学生ビザの時はIELTSがいりませんでしたが、今回は卒業生ビザを取るためにIELTS6以上が全部必要になります。なめてかかりました。大学卒業したし大丈夫だろうと軽い気持ちで受けました。

1回目:L8.5 R7 S6.5 W5 おい!あんだけエッセイを書いていたのにとショックでした。

2回目:  L9.0 R6.5S6.5 W 6 クリアしました。

やはり大学でエッセイを書いていてもIELTSに特化した書き方でないとクリアできないことがわかりました。

クリアしたスコア+多くの必要書類を提出し、無事ビザがおりました。

 

 

 

 

 

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投稿日:2016年6月14日 更新日:

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